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5D2 10東北 早池峰神社と神遣神社:遠野附馬牛

コンセイサマからR340を5Kmほど戻り、土淵小学校の角を県道r160へ右折、附馬牛東禅寺桑原まで10Km。
ここから大野川沿いに神遣峠を越えて大出まで約8Km北上すれば早池峰神社到着。(附馬牛は【つきもうし】と読んでね)
来内の伊豆神社から早池峰山山頂へ向けて引いた直線のほぼ直下である。これを「レイライン」という解釈も世の中にはある・・・
(なお、神遣神社は若干(約1Km)ラインから外れていて解釈上ちと苦しいかもしれない。)

早池峰山への登山口は東西南北に四カ所有り、それぞれに早池峰神社がある。
元祖としては(心情的にも)こちらがもっとも有力なのだが、大迫町の早池峰神社も江戸時代にいろいろと「主張」していらっしゃる。
どっちみちワタシは今回大出の早池峰神社にしか行ってないので、そのあたりの事情はあまり詮索しないことにした。

「大同元年(807)に来内村の猟師「籐蔵」が山中で・・・」という有名な由来では、始閣籐蔵が山頂に奥宮を建立し、普賢坊と名を変え
後日ここに新山宮を建立したとある。「籐蔵」というヒトはそもそも伊豆からやって来た修験者?という説もあり、
ここでいっきに来内の金鉱がらみでもしかして熊野修験関係かも、という説にも繋がってくるのだが、長いので以下略・・・・・
その後嘉祥年間(841-851)なのか斎衡年中(854-857)どっちか分からんけれど、圓仁(自覚大師)奥州巡歴の際
妙泉寺を創建し(中略)明治の廃仏毀釈まで神仏混交の時代が続く。で、それ以降が現在の「早池峰神社」。
(最後の遣唐使として、彼の地で大冒険をした圓仁の話もスゴイのだが、ここでは置いといて)
ちなみに最澄の弟子である圓仁は天台宗、籐蔵が熊野修験系とすれば天台宗本山派ということで辻褄が合うのかもしれない(?)
ぜんぜんチガウのかもしれないが個人の想像なので許してね。
★☆
肝心の御祭神「瀬織津姫命」に関してはまったく勉強不足。とても深そうでいずれ書き加えることがあるかもしれませぬ。
5DMKII_L EF50mm-F1.4-USM
EF50mm F1.4
 

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